何歳まで生きるつもりで人生設計をするのか

人生設計について考えるとき、将来のために貯金をした方がいいと言われる。

老後には働けなくなるかもしれない。病気になるかもしれない。年金だけでは生活できないかもしれない。

だから若いうちから働き、貯金や資産形成をして、老後に備える。

特に変な話ではない。

ただ、ここには一つ、あまり疑われない前提があるように思う。

できるだけ長く生きることを前提に人生を設計する。

これは本当に当然なのだろうか。

30歳まで働いて、40歳まで遊んで暮らす

ここでは、独身で子供を持たず、自分以外の誰かを扶養する責任もない人を前提に考えてみる。

かなり極端な例である。

高校を卒業したあと、期間工など比較的お金を貯めやすい仕事をして、30歳まで集中的に働く。

生活費を抑えながら働き、それなりの金額を貯める。

そして30歳になったところで仕事を辞める。

そこからは貯めた金を取り崩しながら、働かずに生活する。

旅行してもいい。

ゲームをしていてもいい。

本を読んでもいい。

一日中寝ていてもいい。

とにかく、自分の好きなように10年間を過ごす。

そして40歳になるころには金が尽きる。

普通の人生設計なら、当然ここが問題になる。

40歳になったらどうするのか。

老後はどうするのか。

しかし、本人が最初から、

「40歳まで自由に生きられれば、その先まで生きられなくても構わない」

と考えていたらどうだろう。

それでも、この人生設計は間違っているのだろうか。

若い10年と老後の20年は同じなのか

ここで私が気になるのが、人生の時間を単純に年数だけで考えていいのかということである。

30歳から40歳までの10年間。

70歳から90歳までの20年間。

時間だけを数えれば、当然後者の方が二倍長い。

しかし、本人にとっての価値まで二倍なのだろうか。

若いうちは比較的体力がある。

旅行をするにしても長距離を移動しやすい。

スポーツをしたり、山に登ったり、夜遅くまで遊んだりすることもできる。

食事を楽しむにしても、年齢によって食べられる量や身体への影響は変わるかもしれない。

ゲームや映画やアニメのような身体能力をそれほど必要としない趣味であっても、若いころと老いたころで同じように楽しめるとは限らない。

もちろん逆もある。

年齢を重ねて初めて分かる面白さもあるだろうし、若いころには興味のなかったことを楽しめるようになるかもしれない。

だから「若い時間の方が必ず価値が高い」と言いたいわけではない。

ただ、

人生の一年は、何歳であっても同じ価値である

と考える必要もないと思う。

仮に自分にとって30代の一年が、80代の一年よりずっと価値が高いと感じるのであれば、将来の20年間を確保するために現在の10年間を労働に使うことが、本当に得なのか分からなくなる。

寿命を最大化することと、自分にとって価値のある時間を最大化することは、同じではないのかもしれない。

遠い20年ほど不確実でもある

もう一つ考えてしまうのが、時間の遠さである。

30歳の自分から見た30代の10年間と、70歳から90歳までの20年間では、単に年齢が違うだけではない。

後者は何十年も先の話である。

そのころ自分がどれくらい健康なのか分からない。

何に興味を持っているのかも分からない。

そもそも自分がそこまで生きているのかも分からない。

そして、自分だけでなく社会もどうなっているのか分からない。

私は個人的に日本の今後についてあまり楽観的には見ていないが、ここで将来の日本が良くなるか悪くなるかを論じたいわけではない。

良くなる可能性もあるし、悪くなる可能性もある。

ただ、数十年先になるほど分からないことが増えるとは思う。 

そう考えると、現在に近い10年間と、数十年先にある20年間を、単純に年数だけで比較することにはさらに違和感がある。

将来の20年間のために現在の10年間を使ったとしても、その20年間を自分がどのような状態で迎えるのかは分からない。

一方、これからの10年間については、遠い将来よりは想像しやすい。

もちろん近い未来にも事故や病気はあるので、何かが保証されているわけではない。

それでも私には、遠い将来の不確実な時間より、現在に近い時間の方に価値を置くという考え方にも合理性があるのではないか。

老後のために若い時間を使う

老後資金を作るということは、見方を変えれば、

若いときの時間を使って、老いたときの時間を確保する

ことでもある。

働けば給料がもらえる。

その金を使わずに残しておけば、将来働けなくなったときの生活費になる。

合理的である。

しかし、そこには交換が起きている。

若い現在の時間を労働に使い、その対価として未来の生活を買っている。

その交換比率を考えずに、

「老後のために働くのは当然」

としてしまっていいのだろうか。

仮に30歳から40歳まで自由に過ごし、そこで人生が終わる場合と、30歳から60歳まで働き続け、その後80歳まで生活する場合があったとする。 

私は、後者が無条件に優れているとは思わない。

80歳まで生きた。

だから40歳までしか生きなかった人より良い人生だった。

そんな単純な比較はできないと思う。

FIREとは少し違う

この考え方は、一見するとFIREに近い。

若いうちに資産を作り、労働に縛られない生活を目指すという点では似ている。

ただ、FIREで重要なのは経済的な自立だと思う。

生活のために働き続けなければならない状態から抜け出し、働くかどうかも含めて、自分で選べる状態を作る。

仕事を完全に辞めてもいいし、好きな仕事だけしてもいい。収入をそれほど気にせず働くこともできる。

つまり、お金によって人生の選択を強制されない状態を作るという考え方だと私は理解している。

今回考えている人生設計も、若いうちに金を貯めて自由な時間を作るという点では似ている。

しかし、今回考えているのは、その一つ前である。

そもそも長く生きるための金を用意する必要があるのか。

30歳から死ぬまで働かずに生活するには莫大な資産が必要でも、30歳から40歳までなら必要な資産はずっと少なくなる。

長寿を絶対条件から外せば、人生設計そのものがかなり変わる。

FIREが経済的な制約を減らして人生の選択肢を増やそうとするものだとすれば、今回の考え方はむしろ、将来の選択肢が減ることを承知したうえで、現在に近い時間へ資源を多く配分する。

似ている部分はあるが、目指しているものは少し違う。

40歳の自分はどう思うのか

もちろん、この考え方には大きな問題がある。

30歳の自分が、

「40歳まででいい」

と思っていても、40歳の自分が同じことを考えているとは限らない。

30代で新しい趣味を見つけるかもしれない。

大切な人ができるかもしれない。

単純に考え方が変わるかもしれない。

40歳になったとき、

「やっぱりまだ生きたい」

と思う可能性は当然ある。

ところが、そのときには金がない。

10年間働いていないので、仕事に戻ることも難しくなっているかもしれない。

これはかなり大きなリスクだと思う。

だから私は、

「30歳まで金を貯めて、40歳で尽きるように使えばいい」

と他人に勧めたいわけではない。

ただ、この反論を認めたとしても、

だから80歳や90歳まで生きられるように若いうちから準備するのが当然だ

とまではならないと思う。

40歳の自分に選択肢を残すことには価値がある。

同時に、30歳の自分の時間にも価値がある。

どちらをどれだけ重く見るかという問題ではないだろうか。

長く生きることをどこまで優先するのか

人生設計というと、収入や支出、貯蓄、投資、老後資金などの話になりやすい。

しかし、その計算をする前に決めなければならないことがある。

自分は、長く生きることにどのくらい価値を置いているのか。

長く生きたいなら、そのために若いうちから準備する。

それは自然である。

一方で、

「老後の20年を確保することより、若いうちの10年を自由に使いたい」

と考える人がいてもいいのではないかと思う。

もちろん、人生は予定通りにはならない。

将来考えが変わるかもしれない。

だから将来への備えを完全になくすことには大きなリスクがある。

それでも、

できるだけ長く生きられるように人生を設計することだけが、唯一合理的な人生設計なのだろうか。

私はそうは思わない。

何歳まで生きることを想定するのか。

若い時間と老いた時間を、自分はどのように評価するのか。

現在の自由と将来の安全を、どのくらいの割合で交換するのか。

そういうことも含めて、自分で決めるものが人生設計なのではないかと思う。