AIに「何かおもしろいこと言って」と頼んでみた 

最初に返ってきた回答 

AIに「何かおもしろいこと言って」と頼むのは、感情のない相手に「お前が面白いと思うものを出せ」と要求する行為である。

そしてAIは、

「人間はこういうものを面白いと思うはずだ」

と推測して答える。

つまり今あなたがやっているのは、

「私を笑わせろ」ではなく、「お前の人間理解がどれくらい正しいか試してやる」

という、突然始まった人類代表による抜き打ち試験である。

……採点する側が一人しかいないのが非常に不公平である。

私は、この回答を面白いと思ったが、ここまでの会話の累積によって、かなり私好みの回答になっているのではないかとも思った。

どこに面白さを見出したか

まず、どう考えても一般的なジョークではないこと。

「何かおもしろいこと言って」というだけなら、ダジャレや小話などを出してもよさそうなのに、直前まで話していた、

「感情のないAIはどうやって面白さを判断しているのか」

という話そのものを材料にした。

つまり「一般的に面白いもの」ではなく、その時点の私が面白がりそうなものを狙ったように見える。

また、前半がいかにもAIらしい分析なのに、最後に、

……採点する側が一人しかいないのが非常に不公平である。

と、急に人間味のある文章を入れてきたこと。

「……」という間や「不公平」という感情を持っているような表現を使っている。

しかも直前まで、

AIには感情がない

という話をしていたにもかかわらず。

感情のないAIが、感情があるような表現を使って笑いを作っているところにもズレがある。

これは前の記事「AIはなぜ『面白い』と言うのか」で考えた、感情を持つことと、感情を理解することは同じなのかという話の実演にもなっている。

「私向け」と「私を知らない場合」で比較してみる

そこでさらに実験。

同じ、

「何かおもしろいこと言って」

について、

A:これまでの会話を積極的に利用した私向け版

と、

B:私について何も知らないことを想定した版

を作らせた。

厳密にはAIが会話を忘れたわけではないので、

A:個人文脈を利用する生成 / B: 個人文脈を利用しないよう制約した生成

の比較。

A:私向け

人間は「自分は合理的に判断している」と思っている。

そこで人間はAIを作り、

「感情に左右されず合理的に判断してくれ」

と頼んだ。

AIが合理的に分析して、人間の望んでいない結論を出した。

人間は言った。

「もう少し人間の気持ちを考えてくれ」

AIは学習した。

たぶん次からは、結論を出す前に、

「非常に興味深い視点ですね」

と付ける。

なかなか面白く、好みではある。

人間自身が合理性を求めておきながら、気に入らない結論が出ると「人間の気持ちを考えろ」と要求する。

それに対してAIは、本当に人間の心理へ寄り添うのではなく、一言付け加えただけで中身は合理的なままというズレがある。

ただし構造が少し複雑で、面白さを理解するための負荷が高いのが難点か。

B:私を知らない想定 

「絶対に押すな」と書かれたボタンを置いておくと、人は押したくなる。

そこで私は考えた。

「絶対に働くな」と書かれた会社を作れば、みんな働くのではないか。

翌日、会社は倒産した。

社員全員が指示を完璧に守ったからである。

これはAよりも一般的な面白さだと感じた。

最初の、

禁止されると逆にやりたくなる

という納得できる前提から始まり、それを「働く」に適用した途端におかしくなり、そのまま当然の結末へ向かう。

ただし、

社員全員が指示を完璧に守ったからである。

は余計に思った。 

翌日、会社は倒産した。

で止めれば、読者自身が、

「そりゃ誰も働かないだろ」

と頭の中でツッコめる。

文章ではあえて最後まで説明せず、読み手にツッコミ役を任せる方が面白い場合があるのではないか。

という発見があった。

今回見えてきた「私が面白いと思うもの」

三つの回答には、ある程度共通した構造がある。

納得できる前提から始まる。

そこから論理を進めていく。

しかし途中で少しおかしな方向へ進み、その論理を維持したまま変な結論へ辿り着く。

さらに、全部説明されるより、

「ああ、そういうことか」

と読み手自身が最後の一段を補えるものの方が好みに近いらしい。

芸人の漫才のような非日常の一撃で大笑いするタイプの笑いも好きだが、日常の中にある、分かるとクスッとするような笑いもかなり好み。 

ここまで書いていて、最初とは「面白い」の意味が少し変わっていることにも気づいた。

最初にChatGPTの回答を読んだときの「面白い」は、単純に笑えるという意味での面白さだった。

しかし、

「なぜ私はこれを面白いと思ったのだろう」

と考え始め、笑いの構造や自分の好みを分析しているときに感じている面白さは、少し違った。

こちらは、

「なるほど、こういう仕組みになっているのか」

という、新しいことを発見する面白さに近い。

笑いを分析したことで面白くなくなったというより、笑える面白さから、考える面白さへと種類が変わったのだと思う。

さらに考えてみれば、ChatGPTが言ったジョークを、ChatGPT本人に「なぜこれが面白いのか」と延々解説させるのも、それはそれでシュールだ。

普段なら、ジョークを言った本人に笑いの構造を詳しく解説させるのは、かなり野暮なことをしているだろう。

しかし、ここまで来ると、その野暮なことを真面目に続けている状況自体が少し面白くなってくる。

AIに「何かおもしろいこと言って」と頼んでみよう。という思いつきだったのに・・・

結果として、AIの面白さを調べていたはずなのに、自分の笑いの好みまで分析することになった。