幸福とはなんだろうか

人生の目的とはなんだろうか。

いきなり大きな話になった。

別に人生に目的なんてない、と考えることもできる。

ただ、自分がどう生きたいのかという意味で考えるなら、私は幸福になること、あるいは幸福な状態を維持することなのではないかと思った。

お金を稼ぐ。

仕事で成功する。

好きなことをする。

人と一緒に暮らす。

何かを成し遂げる。

こういうものも、それ自体が最終的な目的というより、自分が幸福になるために求めているのではないだろうか。

では、幸福とはなんだろうか。

考えてみると、これがよく分からない。

幸福と不幸の間

まず、ものすごく単純に考えてみる。

不幸をマイナス、幸福をプラスとする。

そうすると、その間にはどちらでもない状態があるはずだ。

不幸 ←―――― 0 ――――→ 幸福
-                 +

幸福でも不幸でもない。

プラスでもマイナスでもない。

とりあえず、これを「平穏」と呼んでみる。

もちろん実際の人間の感情が、こんな一本の線できれいに表せるとは思わない。

ただ、自分が幸福について考えるための模型としては、これくらい単純な方が分かりやすい。

では、この線の右側へ動かすものは何なのだろう。

幸福の要因とは

一般的に幸福につながりそうなものを考えてみる。

お金。

健康。

家族。

友人。

恋愛。

仕事。

自由な時間。

趣味。

他人からの評価。

何かを達成すること。

美味しいものを食べること。

楽しい経験をすること。

ほかにもいくらでもありそうだ。

もちろん、人によって重要度は違う。

お金をたくさん持つことが幸福につながる人もいれば、それほど必要としない人もいる。

一人で過ごすことが苦痛な人もいれば、一人の方が楽な人もいる。

競争に勝つことが楽しい人もいれば、そもそも競争したくない人もいる。

どうやら幸福の要因は、人によってかなり違いそうである。

では逆に、不幸の要因は何だろう。

不幸の要因とは

病気や痛み。

貧困。

空腹。

睡眠不足。

人間関係のトラブル。

嫌なことを強制されること。

自由がないこと。

将来への不安。

孤独。

失敗。

大切なものを失うこと。

こちらもいくらでもある。

そして、幸福の要因と同じように個人差もある。

同じ出来事でも、ある人には大きな苦痛になり、別の人にはそれほどでもないこともあるだろう。

こうして考えると、人間は幸福を増やし、不幸を減らしながら、さっきの線のなるべく右側に行こうとしているようにも見える。

だったら、自分も幸福を増やして右側へ行けばいい。

……となるはずなのだが、ここで困った。

私には幸福がよく分からない

私は「幸福」というものを、実感としてあまりよく分かっていない。

楽しい、は分かる。

面白い、も分かる。

美味しいものを食べれば美味しいと思うし、面白いことをしていれば笑う。

欲しかったものを買って嬉しいこともある。

ただ、それを「私は今、幸福だ」と表現するかというと、なんとなく違う。

楽しいことは楽しい。

面白いことは面白い。

でも、それ以上の「幸福」という大きな状態が自分の中にあるのかと言われると、よく分からない。

幸福とはこういうものだ、と自分の経験から指し示せるものが思いつかない。

分からないものを頑張って増やそうとしても無理があった。ならば不幸を減らそうと思った。

幸福を増やすより、不幸を減らす

不幸の方は比較的分かりやすい。

痛いのは嫌だ。

苦しいのも嫌だ。

嫌なことを強制されるのも嫌だ。

強い不安を抱え続けるのも嫌だ。

ならば、それらをできるだけ減らしていけばいい。

さっきの線でいえば、無理に大きなプラスを目指さなくてもいい。

大きなマイナスを避けて、0付近にいられればそれでいいのではないか。

不幸 ←――――【この辺でいい】――――→ 幸福
-           0          +

そして0付近で暮らしている中で、たまに楽しいことや面白いことがあれば、一時的に少しプラスへ行く。

また0付近へ戻ってくる。

それくらいでいいような気がする。

足るを知る

ここまで考えると、「足るを知る」という言葉がしっくりくる。

幸福になるために、もっと何かを手に入れなければならない。

もっと稼ぐ。

もっと評価される。

もっと成功する。

もっと楽しい経験をする。

もっと充実した人生にする。

そう考えれば、幸福には際限がなくなる。

一つ手に入れれば、また次が欲しくなるかもしれない。

しかも「もっと幸福にならなければ」と考えること自体が、今の自分を「まだ足りない状態」にしてしまう。

それなら、

今のところ、それほど困っていない。

これで十分なのではないか。

何も欲しがらないということではない。

面白そうなものがあればやればいいし、欲しいものがあれば買えばいい。

ただ、それらを「幸福になるために必要なもの」にしなくてもいい。

幸福の条件を増やすより、不幸の原因を減らす。

そして、特に困っていない状態まで来たら、そこで一度止まる。

私にとっての「足るを知る」は、そういうことなのかもしれない。

幸福とはなんだろうか

結局、最初の問いには答えられていない。

幸福とはなんだろうか。

やはり、よく分からない。

ただ、幸福そのものが分からなくても、

自分にとって何が不幸なのか

なら、もう少し分かる。

だったら、それを一つずつ減らしていけばいい。

人生の目的が幸福になることだとしても、必ずしも幸福を最大化する必要はないのかもしれない。

不幸を減らして、プラスでもマイナスでもないところまで来る。

そこで平穏に暮らしながら、ときどき面白いことがある。

それくらいで十分なのではないかと思う。

嫌なことをして長生きするより、わがままに死んでいく方が自分に向いている気がする。

テキトーに生きて、テキトーに死ぬくらいでちょうどいいのではないだろうか。